2016年11月29日火曜日

ケンペスは死なず



 ブラジル1部リーグのアソシアソン・シャペコエンセ・ジ・フチボウの選手とスタッフ約50名を乗せたラミア・ボリビア航空2933便がコロンビアの山中に墜落。搭乗者81名のうち、76名が死亡した(※後に搭乗者77名のうち、71名が死亡、6名が生存と修正)。その中にはJリーグに在籍した監督や選手も含まれており、かつて黄色いユニフォームに袖を通した選手の名もあった。

 エヴェルトン・ケンペス・ドス・サントス・ゴンサウベス。J2に降格して4年目の13年、当時J1のセレッソ大阪から加入したブラジル人FW。かつてジェフに在籍したブラジル人FWはなぜかほとんど活躍できなかったが、ケンペスはチーム新記録となる1シーズン中3度のハットトリックを達成し、加入したその年にいきなりJ2得点王となった(22得点)。ジェフの選手が得点王を獲ったのは2人目で、19年ぶりの事だった。翌14年もリーグ戦で13得点を挙げ、退団する時は、「私はジェフを離れますが、ジェフを応援しています。1人のジェフサポーターが増えましたね!」と心憎い挨拶を残してくれた。

 夕方、コロンビアの航空管制局がFacebookに公開した搭乗者リストの中にケンペスの名前を見つけた時、僕はあまりピンとこなかった。ジェフ退団後は母国のブラジルで1部リーグを戦い、コパ・スダメリカーナという南米サッカー連盟主催の国際大会、その決勝戦に進んでいた。優勝すれば日本で行われるスルガ銀行チャンピオンシップの出場権が与えられるため、「また日本でケンペスの姿を見られるかもしれない」という思いの方が先にあった。

 13年J2リーグ第32節対アビスパ福岡戦。久しぶりにスタジアムでジェフの試合を見る喜びに反して、先制された前半は目を覆いたくなる様なミスのオンパレードだった。29分、市原名物ちんたらサッカーが炸裂する中を伊藤大介(現ファジアーノ岡山)の上げたクロスをケンペスが合わせて同点に追い着くも、また相手にリードを許す。54分、米倉恒貴(現ガンバ大阪)のミドルシュートで再び同点。これで主導権を握ったジェフは67分、大塚翔平(現川崎フロンターレ)のパスを受けたケンペスが相手GKをかわして逆転すると、その4分後の71分にも再度GKをかわしたケンペスが、僕の目の前で鮮やかにハットトリックを決めてくれた。ジェフは終了間際に3失点目を献上したが、ケンペスの大活躍で4-3の逆転勝利。ゴールを決めた後に指で「11」を作るケンペスの笑顔で、もう内容の悪さなんか全部チャラ!オールオッケー!呆れ果てるほど酷い内容の試合でも、ゴールを決めた後のあの人懐っこい笑顔にやられるんだよなー。「内容は悪かったけどケンペスが決めてくれたし今回はまあいいか」って。

 

 墜落現場の森林地帯では雨が降っており、19時前にコロンビア警察は捜索打ち切りを発表。21時半、ブラジルの複数メディアがカイオ・ジュニオール監督(元ヴィッセル神戸監督)、キャプテンのMFクレーベル・サンタナ(元柏レイソル)、DFウィリアン・チエゴ(元京都サンガF.C.)、MFアルトゥール・マイア(元川崎フロンターレ)、そして、ケンペスの死亡を発表した。多くのサポーターが悲しみに暮れる一方、モニターから目を離せば、明日の自分の事を考える。なんだろうか、この妙な虚無感と非現実感は。ずいぶん前にも一度感じた事がある。しばらくして、それが22年前にイタリアはサンマリノで偉大なブラジル人レーサーを襲った悲劇の時だった事に気が付いた。あの時もこんな妙な感覚だった。

 選手とサポーターの距離感は人それぞれだけど、アウェイに住む僕にとって、黄色いユニフォームに袖を通した選手は皆「ヒーロー」だ。そのヒーローの1人はジェフを退団した時、僕と同じ「仲間」になった。偉大なブラジル人ストライカーのジェフサポーターがいた事を、僕は忘れないだろう。


 エヴェルトン・ケンペス・ドス・サントス・ゴンサウベス。ジェフでの通算戦績77試合出場38得点。13年J2リーグ得点王。享年34歳。

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