2016年11月30日水曜日

病院GO!GO!GO!



 母が打ったブロック注射はほぼ効かず、この4日間は睡眠導入剤がこれまでの2~3倍になっているため、これはちとまずいと思い、九州大学病院へ連れて行く。今日は眼科の定期健診もあるので、どうせなら1日で済ませようと。以前処方された心因性の痛み止めを2倍服用するという対処療法の他、MRIをもう一度撮る事になる。が、院内のMRIは2ヶ月待ちとかで、院外の画像診断センターへ。その前に眼科で定期健診。そんでMRI。いきなりタイトなスケジュールになってしまい、結局昼メシも食えず。さすがに半日で病院3軒ハシゴは疲れたなぁ。帰りの高速バスを降りた母は文字通りふらふらになっていたので、目がほとんど見えなかった夏以来となる母の手を引いて帰宅。結果は来年との事。

2016年11月29日火曜日

ケンペスは死なず



 ブラジル1部リーグのアソシアソン・シャペコエンセ・ジ・フチボウの選手とスタッフ約50名を乗せたラミア・ボリビア航空2933便がコロンビアの山中に墜落。搭乗者81名のうち、76名が死亡した(※後に搭乗者77名のうち、71名が死亡、6名が生存と修正)。その中にはJリーグに在籍した監督や選手も含まれており、かつて黄色いユニフォームに袖を通した選手の名もあった。

 エヴェルトン・ケンペス・ドス・サントス・ゴンサウベス。J2に降格して4年目の13年、当時J1のセレッソ大阪から加入したブラジル人FW。かつてジェフに在籍したブラジル人FWはなぜかほとんど活躍できなかったが、ケンペスはチーム新記録となる1シーズン中3度のハットトリックを達成し、加入したその年にいきなりJ2得点王となった(22得点)。ジェフの選手が得点王を獲ったのは2人目で、19年ぶりの事だった。翌14年もリーグ戦で13得点を挙げ、退団する時は、「私はジェフを離れますが、ジェフを応援しています。1人のジェフサポーターが増えましたね!」と心憎い挨拶を残してくれた。

 夕方、コロンビアの航空管制局がFacebookに公開した搭乗者リストの中にケンペスの名前を見つけた時、僕はあまりピンとこなかった。ジェフ退団後は母国のブラジルで1部リーグを戦い、コパ・スダメリカーナという南米サッカー連盟主催の国際大会、その決勝戦に進んでいた。優勝すれば日本で行われるスルガ銀行チャンピオンシップの出場権が与えられるため、「また日本でケンペスの姿を見られるかもしれない」という思いの方が先にあった。

 13年J2リーグ第32節対アビスパ福岡戦。久しぶりにスタジアムでジェフの試合を見る喜びに反して、先制された前半は目を覆いたくなる様なミスのオンパレードだった。29分、市原名物ちんたらサッカーが炸裂する中を伊藤大介(現ファジアーノ岡山)の上げたクロスをケンペスが合わせて同点に追い着くも、また相手にリードを許す。54分、米倉恒貴(現ガンバ大阪)のミドルシュートで再び同点。これで主導権を握ったジェフは67分、大塚翔平(現川崎フロンターレ)のパスを受けたケンペスが相手GKをかわして逆転すると、その4分後の71分にも再度GKをかわしたケンペスが、僕の目の前で鮮やかにハットトリックを決めてくれた。ジェフは終了間際に3失点目を献上したが、ケンペスの大活躍で4-3の逆転勝利。ゴールを決めた後に指で「11」を作るケンペスの笑顔で、もう内容の悪さなんか全部チャラ!オールオッケー!呆れ果てるほど酷い内容の試合でも、ゴールを決めた後のあの人懐っこい笑顔にやられるんだよなー。「内容は悪かったけどケンペスが決めてくれたし今回はまあいいか」って。

 

 墜落現場の森林地帯では雨が降っており、19時前にコロンビア警察は捜索打ち切りを発表。21時半、ブラジルの複数メディアがカイオ・ジュニオール監督(元ヴィッセル神戸監督)、キャプテンのMFクレーベル・サンタナ(元柏レイソル)、DFウィリアン・チエゴ(元京都サンガF.C.)、MFアルトゥール・マイア(元川崎フロンターレ)、そして、ケンペスの死亡を発表した。多くのサポーターが悲しみに暮れる一方、モニターから目を離せば、明日の自分の事を考える。なんだろうか、この妙な虚無感と非現実感は。ずいぶん前にも一度感じた事がある。しばらくして、それが22年前にイタリアはサンマリノで偉大なブラジル人レーサーを襲った悲劇の時だった事に気が付いた。あの時もこんな妙な感覚だった。

 選手とサポーターの距離感は人それぞれだけど、アウェイに住む僕にとって、黄色いユニフォームに袖を通した選手は皆「ヒーロー」だ。そのヒーローの1人はジェフを退団した時、僕と同じ「仲間」になった。偉大なブラジル人ストライカーのジェフサポーターがいた事を、僕は忘れないだろう。


 エヴェルトン・ケンペス・ドス・サントス・ゴンサウベス。ジェフでの通算戦績77試合出場38得点。13年J2リーグ得点王。享年34歳。

2016年11月28日月曜日

『超力音源集』



 先週、お友達からいただいた『DEVIL SUMMONER SOUND COLLECTION 超力音源集』(曲・目黒将司、田崎寿子、増子司)。06年にアトラスから発売されたプレイステーション2用ソフト『デビルサマナー 葛葉ライドウ対超力兵団』の初回特典CDで、同作の他に『真・女神転生 デビルサマナー』と『デビルサマナー ソウルハッカーズ』の楽曲をアレンジしたイカす1枚。


 元々、初代『デジタルデビル物語 女神転生』(ナムコ)から『デビルサマナー』までの音楽を手がけた増子司氏の乾いたサウンドが好きでサントラも買ってたけど、本CDは同じ『デビルサマナー』の楽曲でも『真・女神転生III NOCTURNE』の音楽を手がけた目黒将司氏が編曲しているため、アレンジの方向性も『III』に近く、特に2曲目の「葛葉探偵事務所」や3曲目「ボスバトル」なんかはギターとトランペットによる目黒アレンジが強く、従来の増子サウンドに慣れた身としては結構新鮮な感じ。特典CDとは思えないボリュームでナイス。

【収録曲】
01. デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団のテーマ(葛葉ライドウ対超力兵団)
02. 葛葉探偵事務所(デビルサマナー)
03. ボスバトル(デビルサマナー)
04. 矢来銀座DEポン(デビルサマナー)
05. デビルサマナーソウルハッカーズのテーマ(ソウルハッカーズ)
06. バトル-ナオミ-(ソウルハッカーズ)
07. 超空間 Inspired from ALGON(ソウルハッカーズ)
08. バトル-ライドウ-(葛葉ライドウ対超力兵団)
09. 筑土町(葛葉ライドウ対超力兵団)
10. 呟き(葛葉ライドウ対超力兵団)

2016年11月27日日曜日

がんばれ第1小隊



 uniのインクボールペン「ユニボールシグノ 超極細0.28mm」を買ってみたので、試しにメカを描いてみようとテレビ版『パトレイバー』第7話「栄光の97式改」のエピソードをベースに、第1小隊のパトレイバー「97式改パイソン」とテロリストが強奪した作業用レイバー「ヘラクレス21」をば。

 テレビ版開始時には既に旧式としてイングラムと比較されがちだったパイソン。対するヘラクレス21はスペックでパイソンを上回り、早々に2号機のメインカメラを破壊します。が、粋がる犯人が放った「旧式レイバーが!」の一言に、普段は沈着冷静な1号機操縦の「五味丘努」巡査部長が「何をっ…!」と大型シールドで相手のメインカメラを破壊。狼狽する犯人の後ろからは、体勢を立て直した2号機が立ち上がり、最後は頭部のバイザーを下ろしてヘラクレスににじり寄る2機…といったところが第7話で描写された場面。

 機動隊を思わせるパイソン独特シルエットは、イングラムとはまた違った力強さがあり、これもまた「パトレイバー然」としてて、好きなレイバーのひとつです。デザイナーが同じだからって「ジム・コマンド」とか言うんじゃないぞ!例によってコピックと水彩色鉛筆でぐりぐり塗り、シグノ超極細0.28mmでペン入れ。『Photoshop』でハイライト類やパトライトの照り返しなどを加えてます。

 Twitterにアップしたら、あろう事かゆうきまさみ先生にリツイートされてしまい、瞬く間に拡散されていったんですが、パイソンの2号機パイロットは「結城」巡査なので(モデルはもちろんゆうき先生)、これも縁だなぁと思った←違う。つーわけで、久しぶりに合成前の絵も掲載。ひとつの画面にレイバー3機描くのはちと面倒だったけど、バイザー下ろした姿も描きたかったので。そんでもって、シグノ超極細0.28mmはなかなかよさげでした。芯も思ったほどふにゃふにゃしてないし、何よりコンビニなんかで気軽に買えるのがいいですな。

2016年11月25日金曜日

その名はエスナイデル



 ジェフの来季新監督にスペイン人のフアン・エスナイデル氏が内定。これまでどっちかっつーと東欧路線だったので、初めての南米出身監督。今季の選手大幅入れ替えだけでは飽き足らず、来季もイチかバチかのギャンプル運営でしょうか?経歴見てもどういう指導者だかよく分からんっつーか、最後2部に降格させてんじゃん!いやー、相変わらずクラブのビジョンが見えない。そもそも最初からそんなもの持ってないのかもしんないけど。これで歴代18人目、代行を含めると21人目の監督。

・1992年:永井良和
・1993年:永井良和
・1994年:清雲栄純
・1995年:清雲栄純
・1996年:奥寺康彦
・1997年:ヤン・フェルシュライエン(オランダ)
・1998年:ヤン・フェルシュライエン
・1999年:ゲルト・エンゲルス(ドイツ)→ニコラエ・ザムフィール(ルーマニア)
・2000年:ニコラエ・ザムフィール→神戸清雄(代行)→ズデンコ・ベルデニック(スロベニア)
・2001年:ズデンコ・ベルデニック→神戸清雄(代行)
・2002年:ジョゼフ・ベングロシュ(スロバキア)
・2003年:イビチャ・オシム(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
・2004年:イビチャ・オシム
・2005年:イビチャ・オシム
・2006年:イビチャ・オシム→アマル・オシム(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
・2007年:アマル・オシム
・2008年:ヨジップ・クゼ(クロアチア)→澤入重雄(代行)→アレックス・ミラー(スコットランド)
・2009年:アレックス・ミラー→江尻篤彦
・2010年:江尻篤彦
・2011年:ドワイト・ローデヴェーヘス(オランダ)→神戸清雄(代行)
・2012年:木山隆之
・2013年:鈴木淳
・2014年:鈴木淳→斉藤和夫(代行)→関塚隆
・2015年:関塚隆
・2016年:関塚隆→長谷部茂利(代行)

 時代によっては旧古河電工サッカー部ルートや、ジョゼフ・ベングロシュ氏を通じた海外ルートなど、監督が変わってもチームの方針はそのまま継続されるケースもあった。また、ズデンコ・ベルデニック氏はシーズン中に名古屋グランパスエイト(現名古屋グランパス)の幹部と密会していた事がバレて契約解除、ベングロシュ氏は高齢のために勇退、イビチャ・オシム氏は日本代表監督に引き抜かれるなど、成績とは関係ないところでの交代もあるにはあったけど、08年からは完全に行き当たりばったり&代え過ぎ。

 J2以下のクラブの中には監督を代えるだけのお金がないために長期政権を取らざるを得ないクラブもいくつかあるけど、やっぱり本来は鹿島アントラーズ(J1)みたいに、クラブの方針ありきで監督を当てはめていくってのが理想かつ正しいサッカークラブの運営だと思うんですよね。監督が代わってもクラブとしてはブレない「根っこ」がジェフにはない。エスナイデル新監督が来季J1昇格を成し遂げたら、チームはそのまま南米路線になるのか?それともやっぱりシーズン途中で解任してしまうのか?果たして僕はまだジェフを応援しているのか?

2016年11月22日火曜日

首都から来た女



 本日は東京から某サッカーチームサポーターのアトラス大好きっ娘さん(仮名)が神社仏閣巡りで福岡にお越しになると言うので、案内がてら2日続けて博多行き。正午に初めての初対面(←重複表現)をすませ、西鉄電車に乗って目的地の太宰府天満宮へ。5年ぶりくらいに来たなー。来年厄年だという事に気付いたので、厄除けのお守りを購入。ついでに九州国立博物館にも寄る。常設展示しかやってなかったけど、入場料460円で結構楽しめた。


 夜は居酒屋と焼鳥屋をハシゴ。「博多の焼鳥屋」っつったら、鶏肉なんざ置いといて、何はなくとも豚バラ。他県の人はたいてい驚くけど、逆に豚バラのない焼鳥屋で何を食べろと言うのかっつー文化で育ったので。あと、ビネガーベースのタレがかかった無料のキャベツね。ついでに、こないだ陥没した博多駅前の大穴にも行ってみた。工事用の投光機とパイロンがなければどこに穴が開いたのか分からないくらい完璧に塞がってますな。すげー。相変わらず余計な事を1人でベラベラ喋り倒し、最終の高速バスに乗って2時前に帰宅。久しぶりに1日中遊んだー!

2016年11月21日月曜日

ブロック注射を打て!



 母がブロック注射を打つため、九州大学病院へ。「注射の痛みが全然なかった!」と驚いており、前に整形外科で打ったのは一体なんだったんだと。医者個人の資質によって患者の人生って相当左右されるよなぁ…。少しでも効果があればいいんだけど。昼食はカツカレーと共に気になっていたソースカツ丼に。おー、これも美味いじゃないか。九大病院のレストラン、侮り難し。

2016年11月20日日曜日

史上最弱のチーム



 今季のJ2リーグ戦終了。ジェフは勝点53、13勝14分15敗得失点差-1の11位(全22チーム)と、J2に降格して最悪の順位で今季全日程が終了。J1にいた頃は「万年中位」なんて呼ばれてた事もあったけど、とうとうJ2でも二桁順位になってしまったか。それにしたって11位って、キミ。つまるところ、今季のジェフはクラブ史上最弱のチームって事なわけで、かなんがなー。

 J3の大分トリニータは前節で首位に立ち、最終節対ガイナーレ鳥取戦を4-2で勝利して、1年でのJ2復帰を決めた。もうローカルニュースはトリニータ一色。前節の対Y.S.C.C.横浜戦はNHK大分が生中継してたので後半から見たけど、それなりに攻め込まれる場面もあり、J3と言えど降格して来たチームが足元をすくわれる危険性はJ2と変わらないなと思ったですよ。やっぱどのカテゴリーでも1年で復帰しないとダメですな。

2016年11月18日金曜日

母の血をとれ!



 ブロック注射の前に採血の必要があるため、8度目の九州大学病院へ。実は7月に整形外科で1度打ったんですが、特に検査などせず、いきなりブスっと打たれ、我慢強い母が悲鳴を挙げるほどの激痛にも関わらず、全く効果がなく、これが母にとってトラウマになってしまったのでした。こういう大きな病院は、「部署が違う=別会社」くらいの感覚みたいで、ペインクリニックの医者は他人事の様に「たぶん失敗だと思います」とおっしゃる。なんじゃそらー!ただ、この担当医はこれまで丁寧に診断してくれ、母も信頼してるっぽいので、もう1度打ってみようとなった次第。それだけ痺痛が酷いのです。うまく効いてくれるといいんだが…。帰りは当然カツカレー。

2016年11月17日木曜日

りびんぐゲーム その3



 えーとですね、来月に5ヶ月間住んだ日田を離れ、福岡での一人暮らしフリーランス生活に戻ります。母の痺れの原因特定と治療方法という最低限の目標はなんとか果たせたため、年内に元の生活に戻ろうと。つーわけで、日田市役所へ転出届や住民票やらをもらいに行く。お菓子作りが好きな母は何年かぶりにスイートポテトなんかを焼いたりして順調に快復…とはならず。ここんとこの寒さも影響してか、過去最大に痺痛が酷いらしく、それまで頑なに拒んでいたブロック注射を打つため、明日は急遽、九州大学病院へ行く事に。むー、こんな状況で本当に引っ越してしまっていいのだろうか…。

2016年11月12日土曜日

千年あかり



 天気もよく暖かいので、母と2人てくてく歩いて日田天領まつりへ。河原や道路脇など、至る所にザクから発射される対人兵器よろしく(←無視していい例え)竹灯篭が並べられており、夜には中に火が灯されます。


 夕暮れまでだいぶ時間があるため、まずは今日と明日の期間中のみ使える商品券を購入。1,000円で1,100円分の買い物ができる小判!町娘や侍の格好をした住民や対観光客用の人力車が走る中、なかなか凝った作り。そりゃまあ紙製ですけど、これ作った人って絶対シゴトできる人だよなー。


 母は学生時代の友人に会ったり、僕は一度行ってみたかった老舗の模型屋に寄ったりしてるうちに夕暮れ時となり、町中に仕掛けられた3万本の竹灯篭に火が灯される「千年あかり」が始まりました。川や道や橋のどこもかしこもが見所となり、思ってた以上にこれは壮観でナイス風情。


 日田は田舎だし、盆地特有の寒暖差が激しい所ですが、祭りの時はそれが全部メリットに転じて、綺麗で風情があるんですよね。考えてみたら、病院以外に母と2人で半日も出かけた事なんて今までなかったなぁ。夏の祇園祭の時は目があまり見えない事もあって一緒には行けなかったし。こっちにいる間に母が見せたかったという日田の祭りに一緒に来れた事は、一生忘れない気がします。


 と、ちょっとええ話風に締めたところで、「ゲームでこんにちわ」第51回、テクモ(現コーエーテクモゲームス)のファミコン用カートリッジ『つっぱり大相撲』更新しとりますー!見てネ!←我ながらちょっとどうかと思うくらい文章の構成を考えていない。

2016年11月4日金曜日

ゲームでこんにちわ第50回



 「ゲームでこんにちわ」第50回、ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)のプレイステーション用CD-ROM『ナムコミュージアムVOL.4』更新しとりますー。つーわけで、14年10月から始めて丸2年で50作取り上げましたが、『パックマン』、『ギャラガ』、『ゼビウス』、『ディグダグ』は各『ナムコミュージアム』シリーズに収録されてるものを単独で取り上げているため、ソフトの本数としては46本。このペースで行くと、「今後1本も増えない」っつー前提でも所有ソフト全てを取り上げ終わるには、あと10年以上かかる事がさっき分かりました。えー。

 ブログのスタンス的なものはココに書きましたが、元々クリアして10~20年以上経ったまま、その後は「思い出の品」となってしまったり、買ったり頂いたりしてそのままコレクションと化してるソフトをもう一度しっかり遊び直したいっつーのも動機のひとつです。やっぱりゲームは遊んでナンボ!箱にしまって後生大事に飾ってあるだけのゲームなぞ単なるICチップやプラスチックや記憶ディスクの塊!でも、比較的ボリュームの大きなゲームはなかなか時間が割けなかったりするので、50回やってロールプレイングゲームは1本のみ。もっとやりたいんだけどなー。

 昨今のレトロゲームブームでファミコンやPCエンジンのソフトが高騰してる一方、プレイステーションやセガサターンのソフトは安定の100円台からまだまだ名作佳作がたくさんあります。一部のプレミアソフトを除けばレトロゲームって安い趣味なんですよね。それと、頂いたり中古で買ったソフトは全てクリーニングするんですが、ボロボロだった姿が現役当時の姿に戻るのが我ながら嬉しかったり。「もう動かないよ」と言われて譲ってもらったソフトもたくさんあるけど、今のところクリーニングしても動かなかったソフトは1本もないです。頂いたソフトは手放さないので、我が家に来たソフトは安心の老後を送れます。唯一のデメリットはオーナーの将来性が不安定極まりない事だけ!

 クリーニングが終わったソフトは、タイトル、発売元、開発元、発売日、定価、容量、ジャンル、対応プラットフォーム、対応周辺機器、オリジナル版のライセンス元、受賞経歴、年齢制限、廉価版や限定版などのパッケージ別データ、付属品の14項目を『Excel』で一括管理してます。はい、そこ引かなーい。本気で遊ぼうと思ったらそれくらいやるんだぜー。

 そんなわけで、たぶん死ぬまでレトロゲームをやり続けると思うので、今後とも気長にお付き合い下さいませー。