2016年7月20日水曜日

ロングショット



 はいさーい!自分は今、住み慣れた街からハム蔵と一緒に故郷の沖縄に帰ってきたゾ!←久しぶりの更新なのでキャラがブレてるうえに全部うそです。6月30日(木)の夕方に福岡から日田に来て20日、未だに全然慣れません。前にも書きましたが、ここは「実家」ではなく、転勤で母が単身移り住んだ家なので、僕にとってはあくまで「母の家」であり、「他人の家」感バリバリなのです。なんせ乙女の柔肌の様に繊細でデリケートにできてるアタクシ、毎晩寝付きが悪く、熟睡できた日がまだないのが地味につれーっす。昨日ようやくネットが開通したので、多少は自分のペースが取り戻せるかなーとは思ってるんですけどね。

 で、母の病気ですが、1年半前に「脊柱管狭窄症」と診断されながら全く快復の兆しがないどころか悪化しているため、越して来て早々の5日(火)に再び九州大学病院でMRIを撮ったところ、狭窄症ではない事が判明!ドユコトー!僕も写真を見ましたが、骨や間接にはほとんど異常がありませんでした。じゃじゃじゃじゃじゃあじゃあじゃあ、原因はなんなんですくわっ!?と医師に尋ねたところ、「分からないっす。原因不明っす」と。おいー!どうやら「痛み」であれば原因を特定するのも比較的容易らしいんですが、母の場合は「しびれ」なので特定が難しいと。また、片脚などの部位ならまだしも、下半身全体のしびれとなると、整形外科では対処しようがないっつー話でした。んで、今後も投薬などで3週間おきに通院する様にと。あ、最初に狭窄症と診断したのは九大病院ではなく日田の病院です。

 狭窄症ではない=身体的には問題がないって事で、それはそれでいい事なんですが、1年半そう信じて治療を受けてきた母にとっても、こっちに越して来た事でかえって通院し難くなった僕にとっても、この結果はショックでした。それでなくとも親子とは言え10年以上ぶりに同居する事によるストレスで最初の10日間は衝突の毎日で、その度に自己嫌悪と無力感に襲われました。「こんなはずじゃなかった」と毎晩後悔してました。だけど、母が自分のために僕の人生を狂わせてしまったんじゃないかという思いを抱いていた事を知り、廃業になるかもしれないリスクを承知でこっちに来る事を決めたのは自分じゃないかと改めて思ったわけです。

 それからは衝突もなくなり、母の筋力強化とリハビリを兼ねて毎日1~2時間の散歩が日課になりました。自分らしからぬ事をしている違和感はあるんですが、友達に「この歳になっての親とのそういう時間は貴重かもしれんぜ」と言われ、確かに母と一緒に買い物や食事に行く事って大人になってからはなかった時間だなーと。寝る前にはテキトーなマッサージもします。テキトーでも毎日やってれば何かが少しでもよくなるかもしれないと思って。母も次第に元の明るさを取り戻しつつあります。いやー、アッくんってエライなーと思った方はそう思っていただいてくれても全く構いませんよ?なんならメシでも奢ってあげるといいんじゃないでしょうか?

 狭窄症じゃないならないで必ず何かしらの原因があるはずなので、その可能性を考えて選択肢を増やし、日常生活の中で母の負担を減らす。とにかく今の僕の最優先事項は母の足を治す事のみ。そして、治った時にはまた福岡に戻ります。それが来月なのか数年後なのか一生訪れないのかは今の段階では全く不明ですが、とりあえず無期限の期間限定です。僕にとっては大きな賭けですが(もしかしたら母にとっても)、人生一度くらいは自分の全てを賭けてみてもいいかなと。「でっかい賭け」の事を英語ではなんて言ったっけ。

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